2020/01/02【編集長ブログ】高校3年生の冬、浪人が決定したあの日。
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佐藤玄主8CROSS 編集長
1999年11月20日 兵庫県芦屋市出身。芦屋山手小在校中にボランティア活動の任意団体「超丸商店(芦屋山手超丸会)」設立し、ボランティア・スピリット・アワードを受賞。その後、尼崎市立尼崎高等学校を経て慶應義塾大学経済学部通信教育課程に在学中。2018年には西宮神社の伝統神事「福男選び」において一番福を獲得。2019年には一般社団法人クロスポイントプロジェクトを設立した。現在は転学を目指し、社団法人運営の傍でひっそりと受験対策をしている。
プロローグ
スポーツの名門・尼崎市立尼崎高等学校、通称「いちあま」
野球部は甲子園に出場し、女子バスケットボール部はほぼ毎年全国出場。
バレーボール部・陸上競技部はインターハイを制覇し、サッカー・テニス・柔道・吹奏楽も強豪だ。
昨年はとある問題で全国ニュースにも取り上げられたほど有名な学校の体育科に僕は在学していました。
そんな私は、高校3年生のある日、「浪人」を決定したのでした。
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佐藤玄主note
100%受かると思っていた大学からの裏切り
冒頭にも書いた通り、僕はスポーツの名門校に通っており、高校3年間を専門種目である陸上競技に捧げました。
200mでは学年別ランキング全国6位という記録をマークしたり、近畿大会では3位に入賞したり、全国レベルの大会にも出場するなど、順調に記録を伸ばしていきました。
で・す・が・・・
不幸は突然訪れるものなんですよ、人生。
高校3年間で最も大切な、3年生のインターハイ路線の最初の大会である地区のインターハイの100mにおいて疲労骨折を患ってしまいました。
それでも僕は、ギブスの上からスパイクを履き必死に走り、地区大会・県大会を突破し、近畿大会まで進出しましたが、その準決勝で骨折部分やその周辺に限界がきてしまい、敗退してしまいました。
その頃から、高校3年生には「大学入試」という4文字が脳裏にちらつき始め、もちろん僕も意識していました。というか、大学の監督やコーチの方々から試合などで話しかけられることも度々ありました。
そして、
関西の某大学への進学がほぼ間違いなくできる!
というか、
ほぼ100%合格する!
という状態となっていました。
その大学は、関西のみならず、全国でも名が通っておりもう、ウホウホ状態でした。
(このとき、人生そんなに甘くないことにまだ僕は気づいていませんでした)
ん?番号がない?! 絶望した先生の表情
2017年10月、確か中間テスト最終日だったと思います。
社会のテストを受けながら、時計をチラチラ見て、
今頃、1次試験(書類審査)の結果がWEBで発表されているな〜
なんて思っていました。
テストが終了し、すぐにスマホの電源をONっ!
ん?(もう一度画面を見る)
んんっ?!(焦り)
自分の受験番号がないことに気づきました。
近くにいた、同じ体育科で陸上部の山村と末吉は
「うそつくなって〜〜〜!」と煽ってきますが、僕の真剣な表情に
「さ、先部活行っとくわな。うん」とその場を去っていきました。
早速、部活の監督(先生)にに報告すべく、職員室に重い足取りを運びましたが、すでに先生はPCの前で他に受けれる大学を検索していました。
職員室の外からその姿を眺めていると、先生が振り向き、目が合い、外に出てきて、
先生:「お前、どうすんねん」
僕:「一般に向けて頑張ります」
先生:「間に合うんか」(この時点で、一般入試3ヶ月前)
僕:「浪人も視野に入れます」
先生:「わかった。もう帰れ。」
この時の先生の表情はかなり曇っていたのを今も覚えています。
焦りすぎて、ほとんど会話も成立してませんしね。。。
焦りまくる自分
一般入試の勉強しますと言ったものの、そんな自信もなく…
というのも、高校3年間は陸上競技一筋で生きてきたため、一般入試で推薦で行こうとしていた大学に入学することなどほぼ不可能。
とりあえず、父母に電話。
母は「他にも行ける大学はないの?ほら、〇〇大学の指定校もあるって言ってたなかった?」
確かに、〇〇大学の指定校はあったが、もう埋まってしまっているので無理。とりあえず、母には帰宅後説明するとして父に電話をすることに。
父は「お前の決めた道に行けばいい」と承諾。
電話後、部活動副顧問の先生と話していたが、今思い返すと、
「ターゲット1900(英単語帳)、週明けまでに全部覚えてきますよっ!」など無謀なことを口にしていた気がします。
いやぁ、かなり焦ってましたねあの時は。
ここからが佐藤玄主クオリティ
ここから佐藤玄主ポジティブ劇場の始まりです。
何事も積極的に考えてしまう僕は以下のように思うことにしました。
①浪人することでもっと上の大学を目指せるやん?
②浪人したからって死ぬわけちゃうやん?
③「浪人生」っていう人生のステータスができた
④あ〜。多分、このままスポーツで大学行ってたら今後痛い目合うんやわ。神様ありがとぅぅぅ!
とにかくポジティブに考えるようにしました。
というか、勝手にそう考えていました。
さらにさらに、電車で学校から家に帰るまでに見つけた塾に
「明日から行きます!よろしくお願いします!」と契約書を書きに行きました。
一見、アホかと思うかもしれませんが、このような考え方が非常に大切だと考えます。
ツライことが起きた時こそポジティブに!
これから「浪人生」というステータスを獲得する君たちへ。
「浪人生」
誇りに思っていいと思います。
その時はツライと思うかもしれませんが、浪人なんて人生においてはたったの一瞬です。
うわ〜浪人やん。最悪や。
と思うのではなく、
「浪人」という経験をさせてくれてありがとう!
と思うようにしよう。
ツライ時こそ思いっきり笑えばいい。
これから浪人生の仲間入りになる皆さん。
これから、大学進学が決定した同期や、有名大学に通う先輩、
スゲぇキャリアを持った知り合いや親などがヤイヤイ言ってくるかもしれません。
その中で浪人を経験したことがない人がいれば、
「じゃあ、あなたは浪人生になったことがあるのですか?」
と聞いてみましょう。
浪人生以外に浪人生の気持ちなんてわかりません。
あなたの人生、あなたが主役です。有意義な浪人生活をお過ごしください。
おまけ
1次試験結果発表が行われ、僕の不合格が決まった夜、進学する予定だった某大学の担当者との電話のやりとりです。
僕:「僕の受験番号はなかったみたいです」
担当者:「そうですか。私も力及ばない点がありました。書類不備とかはなかったでしょうか?」
僕:「厳重に見たので、それはないです。」
担当者:「そうでしたか。まあ、一般受験もありますので頑張ってください」
僕:「僕が落ちたのは、他に入学を希望する人が出てきたからですかね」
担当者:「それは私にもちょっとわからないですね。まあ、怪我の影響とかもありますし、公平に審査はしています」
僕:「そうですか。今までありがとうございました」
人というのは非情なものです。
しかし、何を言っても「不合格」を言い渡されたのは僕なので、全責任は僕にあります。揺るぎのない事実です。
アスリートの皆さん、ぜひご参考にしてください。
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