2019/05/11少年革命家ゆたぼんに告ぐ。学校へ行くことは、学校へ行かない選択よりも冒険的なものである

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志門倉田

志門倉田慶應義塾大学 環境情報学部4年

大学二年時にベンチャー2社で役員を経験。その後はフリーのwebデザイナーとして働く。現在は、8crossのクリエイター、一般社団法人クロスポイントプロジェクト理事を兼任する。

ゆたぼんくんについて

沖縄県在住の10歳の中村逞珂君。「少年革命家 ゆたぼん」と名乗り、YouTuberとして活動している。自身のYouTubeチャンネルでは、不登校に悩む子や親に「不登校は不幸じゃない」と言うメッセージを発信している。
そんな彼が学校に通うのを辞めたのは、小学3年生の時に宿題を拒否したところ、放課後や休み時間にさせられ不満を抱いた事がきっかけであると言う。担任や親の言いなりになる同級生がロボットに見え「俺までロボットになってしまう」と、学校に通わないことを決意した。

ゆたぼんの不登校は甘えである

私個人の意見ではあるが、ゆたぼんの不登校に至るまでの理由は只のワガママではないかと思う。虐めや病気などの理由で不登校になるのなら理解できるが、結局のところ「宿題が嫌だ」という理由だからだ。たしかに、人それぞれ何を学ぶかは自由だし、その選択権も当人にあるだろう。しかし、自由というのは最低限の事をこなした上で成り立つものではないだろうか?やるべき事もやらずに、自分勝手に振舞うことは只のワガママに過ぎないのである。

そもそも学校へ行くことの価値とは何か?

私は学校へ行くことの価値は、同世代のコミュニティに属すことであると考えている。私自身、幼少の頃から背伸びをして大人の世界へ首を突っ込むことは暫しあった。しかし、学校へ毎日通い、同世代のコミュニティに属することでアイデンティティを確立できたのだと思う。実際に中学に行き、高校に行き、大学に進学した今でも、良き友人に囲まれて色々なチャンスを掴めるのは同世代の価値観を理解出来ているからだと感じている。

大人とは、いずれ嫌でも関わっていくのだ

未だ自分の価値観が形成されていない時に大人としか関わらないと「価値観のズレ 」が生じるし、何よりも人生経験が浅すぎて吸収できるものも吸収できずに勿体ないと感じる。あと、歳を重ねるにつれて「大人」と関わることは自ずと増えていく。だったら、今しかできない出会いのある学校へ行った方がいいのではないだろうか。

学校へ行くことは人生においての保険でもある

これは小学生の頃は全く理解できなかったが、学校は人生の保険になるのである。私は特段優秀な子供ではなかったが、人並みには勉強をしていた。その甲斐あってか、ある程度いい大学にも進学でき、自分の将来の可能性が拡張されたのである。大学に進学してからは、スポーツに打ち込んだり、様々な企業でインターンをしたり、起業したりと多くの冒険をしてきた。だが、どれもうまく行かずに現在は就職活動をしている。失敗しても、逃げ道がある。これはしっかり勉強したからこその賜物だなと日々感じるのだ。

宿題も出来ずに何ができるんだい?

正直これは言い過ぎかも知れないが、小学校の宿題なんて誰でもできる簡単なものである。そんな物もまともに出来ず、周りに文句を言って逃げ出す。そんな奴が革命なんて起こせる訳がない。だって、宿題なんかよりも革命家になる道の方がよっぽど険しく厳しい道のりだからだ。どうせすぐに逃げ出すに決まっている。

正しい道に戻るなら今しかない

これには賛否両論あるだろう。正しい道が何なのかは正直私にも分からない。しかし、今軌道修正をすれば、ある程度まともな人生を送る事もできるし、将来「道を踏み外した事もあったな」みたいに思う日も来るだろう。

最後に。学校へ行くことは実は冒険なのだ。

学校へ行くことは冒険だ。無計画に冒険なんか出来ないと思う。冒険をする前に鞄に必要なものを詰め込む段階が、まさに学校へ行くことではないだろうか。必要な学びやスキルを身につけて、将来冒険をする為の下地を作っていく。そんな過程が学校へ行くことなのだ。今は学校へ行かずに机の上じゃない勉強こそが冒険かのように錯覚するかも知れないが、それじゃあ将来何も成せないだろう。理不尽ばかりの人生という大海原を冒険する為には多少の忍耐を身につけなさいと私は彼に言いたい。

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